Home

 Whats new  牧場の生立ち
   ドルフィンボーイ    さよならドルフィン  さらばハードクリスタル
  さらばサウスポール   徒然雑記帳   矢野敏先生のUS競馬
  厩舎と騎手の成績   北海道馬奇譚  最新の100頭
 徒然散歩路  馬関係Link

花の写真

  出走予定馬と成績   調教タイム  賞金獲得順位

  賞金獲得順位

  Y&M Bar KISLING

免疫療法

  出走予定馬と成績 

 

a

徒然雑記帳U

 

徒然雑記帳T←クリック

〇競馬事始(2006/09/14)   〇血統事始V(2006/02/14 )   〇血統事始U(2006/01/20) 〇血統事始(2006/01/15) 

〇2005/11/07 ディープインパクトの体重U ●2005/06/01 ディープインパクトの体重 2003/02/15 TVに出た馬たちT 2003/03/16 TVに出た馬たちU 天国に行ったハードクリスタル号 

〇徒然雑記帳U

〇2008/01/10 2007年競馬の総括←クリック 

〇2008/03/27 さらば! サウスポール号←クリック

〇徒然雑記帳V

徒然散歩路(1)←クリック

〇2008/11/27徒然散歩路1(鎌倉散歩)

〇2008/11/30徒然散歩路2(高尾山散歩)

〇2008/12/05徒然散歩路3(六義園)

〇2008/12/09徒然散歩路4(文京区)

徒然散歩路(2)←クリック

〇2008/12/23徒然散歩道5(神田川源泉池)

〇2008/12/28徒然散歩路6(私立大学めぐり)

〇2009/01/10徒然散歩路(東京タワー)

〇2009/01/30徒然散歩路(淺草寺せんそうじ)

徒然散歩路(3)花を訪ねて←クリック

○2009/04/04徒然散歩路9(桜の文京区界隈)

○2009/04/05徒然散歩路10(神田川その源泉池の桜)

○2009/06/05徒然散歩路11(鎌倉あじさい散策)

 

 

〇2008/03/27 さらば! サウスポール号

 

さらば!サウスポール号

病を得て自宅でテレビ観戦していた耳に「サウスポールもジョッキーが下馬しております」とのアナウンサーの声が届きました。

最後の直線ジョッキーがぜんぜん追わず胸騒ぎがしていた私にはアナウンサーの声が死の宣告の様に聞こえました。

やがて調教師から「これからレントゲンを取りますから暫く待っててください」と電話がありました。

 

  サウスポール号は2000/5/8日武田修一牧場で生まれました。

母はセリノデートリッヒ号で母の姉にはOnceinabluemamoon(

11勝GU,GV勝)が居ます。

母のセリノデートリッヒ号は中央競馬デビュー前に屈腱炎を発症し3歳の6月に川崎からデビューしました。初戦9馬身、2戦め8馬身の楽勝でしたが、足は治らず3戦目2着、4戦目3着で競馬を終わりました。

肌馬に成ったセリノデートリッヒ号に、大種馬Theatricalの弟タイキブリザードを配合して初子として誕生したのがサウスポール号です。

馬体もよく可愛らしい馬で離乳すると直ぐ武牧場に移しました。

武牧場でハードクリスタル号と調教を積んだサウスポール号は武宏平厩舎に入厩しました。

 

〇自分でも恥ずかしい事ですが、この馬ほど多くの注文を出した馬は居りませんでした。

 

〇まずは芝を使って欲しいと注文を出しました。

緒戦の新馬戦(芝1200m)は武英智騎手が乗って2番手に付けて6着でした。

 

〇早速もっと長い距離にして逃げて欲しいと注文を出しました。

2戦目の新馬戦(芝2000m)は安藤克己騎手が乗り逃げて首の差の2着でした。

3歳になり、3戦目(D1800m)は武豊騎手で5番手に付て12着でした。その後笠松に出張し2番手につけて2着、2着でした。

 

〇早速芝の長い距離を逃げて欲しいと再度注文を出しました。

3月15日中京競馬場で6戦目(芝2000m)に中館英二騎手を背に好タイムで逃げ切りました。次の7戦目(芝2000m)阪神競馬場は蛯名正義騎手を背に鮮やかに逃げ切りました。レース後蛯名騎手は「今日は何にもしないで勝ってしまったよ」と言っていました。

 

〇これを聞いて早速また注文です。菊花賞を目指してローテイションを組んで欲しいと注文を出しました。

若草Sはパドックで転倒のため取り消し、京都新聞杯(GU)は6着、白百合Sは2着、ラジオたんぱ賞は3着、でしたが夏の札幌で武英智騎手の好騎乗でUHB賞を勝ち菊花賞に 臨みました。

 

〇そこでまたまた注文をだしました。大差のドンベイでもいいから大逃げを打ってほしいと注文をだしたのです。その逃げが次のレースから必ず良い結果を出すはずだと思ったからです。

しかし、大差の負けを恐れたジョキーは逃げるのを辞めて5番手に付け16着に終わりました。

 

(写真は武豊騎手とサウスポール号)

その後4歳5歳と勝ち星から見放されていました。その間武豊騎手にも5回乗ってもらいましたが2着3着2着6着6着でした。

 

 

 

〇そこでまたまた注文をだしました。弱い腰の筋肉を鍛えることにもなるので、障害の練習をして欲しいと注文をだしました。更に厩舎の新年会で逢った出津孝一騎手にもお願いしました。

6歳になり、2006/3/19日,中京競馬場で行われた名鉄杯で角田騎手を背に逃げ切り、次の福島競馬場の飯坂温泉特別を中館英二騎手を背に逃げ切りました。

 

〇2007年の新年会でまたまた注文をだしました。今年こそ障害を使って欲しい強く注文しました。出津騎手によりますとサウスポール号は先天的に障害が上手でいつでもレースに出れますよと言っていました。

7歳になり、2007/3/11日,出津孝一騎手を背にしたサウスポール号は阪神の障害を低く飛ぶ独特の飛越で逃げ切りました。

次のOPも出津騎手を背に楽々逃げ切りました。

11月に入り1週間前に府中の1800mを内田浩一騎手で走ったサウスポール号は3300mの春陽ジャンプSに内田浩一騎手で臨み、連闘のたか高く飛越するためか2着に終わりました。

 

〇そこでまたまた注文が出ました。是非サウスポール号と気心の知れた出津騎手を乗せて欲しいと注文をだしました。

暮れの三木ホースランドJSに出津騎手で出走したサウスポール号は久しぶりの出津騎手で低く飛ぶ独特のフォームで気持ちよく逃げていましたが、秋のキツイローテーションのためか力尽き2着に終わりました。

 

〇2008年の新年会で武先生や出津騎手と(注文)話しをしようと思っていましたが、突然の病のため出席できずそのままに成りました。

 

 

 

(写真は最後の障害で左に大きくバランスを崩た熊沢騎手、低い姿勢で飛越し一気に追い抜く西谷騎手)

 

 

 

 

 

 

8歳になったサウスポール号は、2008/3/1日、阪神競馬場には熊沢重文騎手が騎乗して出てきました。今まで見たこともない高く飛ぶジャンプで逃げていましたが、ジョッキーとの折り合いが悪いのか2度ほど今まで見たこともないような危ない飛び方で、特に最後の障害はジョッキーの体が傾きそのため2番手にいたマルブツシルバーに一気に6馬身ほど水を開けられました。

もう駄目かと思っていましたら名手熊沢騎手の鞭に答えて指し返し辛勝しました。

 

阪神スプリングJ(JG2)を回避して3/23日,熊沢騎手を背に出走したサウスポール号は1番人気にしてもらいましたが、逃げる事が出来ず2番手でレースを進め最後の障害を飛んだ後直線に入ってもジョッキーは追わずそのまま大きく遅れての2着でした。

 

(写真は2着でゴールするサウスポール号)

 

 

 

 

 

 

 

 

レースが終わり2時間程して調教師から再度電話がありまた。

「2回検査をしましたが駄目でした、今獣医さんに代わりますから」獣医さんの話によりますと右足の球節から上にクラックが入り膝の下は複雑骨折でボルトを入れる事も出来ずギブスだけでは持ちませんので諦めてくださいとの事でした。

 

痛い足を引きずって最後まで走ってくれたサウスポール君ほんとうに有難う!!

 

前回も太い体で無理をして不可能な追い込みを決めてくれたり、君の根性と誠実さには本当に頭が下がります。

 

僕は君の事自分の分身の様に思っていました、いつもいつも無理ばかりさせて御免なさい。

 

〇最後の注文は

「なんとしても助けてやってください」でした、でも獣医さんの話を聞くうちに初めて注文を取り消しました!!!

 

戦績:8−8−5−22

賞金:1億7720万8千円

 

サウスポール号(出津孝一)

阪神4R(芝3140m)障害OP

 

写真は低く障害を飛ぶサウスポール号

 

 

  • 3.マサ
  • 投稿日:2008/03/27 23:45
  • 痛恨の極みでしょう。
    お悔やみ申し上げます。
    もうちょっとで重賞がとれそうな高いレベルに、
    3歳から8歳まで、
    長い間頑張って維持していたお馬さんだと思います。
    わたしも馬券で何度もお世話になりました。。。
    安らかに。
  • 4.NAKANO
  • 投稿日:2008/03/28 05:15
  • おいら悔しくて悔しくて、、、弔い酒今まで飲んでしまったよ!!!
    熊沢騎手は障害ではピカイチノの存在だけど、昨年からその腕も衰え何か不安定な乗り方が多く見られていたよ。
    せりごんさんが、HPで「勝って欲しい」でなく「無事に飛越を終えて欲しいです」と書いていたのは前回の熊沢騎手の騎乗から一抹の不安を持ったからだと思うよ!
    でもよ!そのフアンが当たってしまうとはよ・・・・・
    あの真面目に走る姿を思い出すと可哀想で、可哀想でよ!!!
    サウスポールの冥福を祈っているよ!!!
  • 5.螻蛄、青髭、真の馬券師
  • 投稿日:2008/03/28 05:37
  • 僕たちはNAKANOさんと悲しい酒飲んで今帰ってきました。
    せりごんさんお悔やみ申し上げます。
    昨年、「何でこんな騎手を乗せるのだ!」「何でこんな無理使いするのだ!」と怒っていたせりごんさんを思い出します。
    障害では120%の力を出せる騎手より無理させない騎手の方が上だよとNAKANOさんや青髭さんが言っていましたが、、、
    何を言っても後の祭りですね、、、
    せりごんさん早く元気になってください。
    そしてまた第二のサウスポールを作ってください!!!
  • 6.ピンキー
  • 投稿日:2008/03/28 06:28
  • みなさんと悲しい酒酌み交わしてやっと我が家にたどり着きましたよ。
    かなしいよ!
    くやしいよ!
    かなし〜よ!
    くやし〜よ!
    かなし〜よ!
    くやし〜よ!
    ピンキーの大好きなサウスポールちゃん、天国で安らかに眠ってくださいね!
    ピンキーはサウスポールちゃんのことは、いつまでも忘れないからね!
  • 7.キャロット@ys
  • 投稿日:2008/03/29 06:53
  • おはようございます。
    お仕事に行く前にひとこと!
    せりごんさん御免なさい、パソコン不調で今朝まで開けませんでした。
    『徒然雑記帳』の「さらば!サウスポール号」も読みました。
    せりごんさんは最後にこう書かれていましたね。
    ”〇最後の注文は「なんとしても助けてやってください」でした、でも獣医さんの話を聞くうちに初めて注文を取り消しました!!!”
    おもわず、せりごんさんの苦しい気持ちをさっして涙が溢れてきました。
    せりごんさん、あまり気を落とさないでくださいね早く元気になってくださいね!!!
  • 8.ピンキー
  • 投稿日:2008/03/30 00:02
  • ピンキーも「徒然雑記帳」の「さらば!サウスポール号」読ませていただきましたよ!
  • サウスポールちゃんは桜の時期に7回も勝て、桜の馬だったんですね、そして桜と共に散ってしまったのですね。
    とても悲しくて、毎日がうつろですよ!
    ご供養が終わったらそのお寺教えてくださいね、ピンキー是非ともお参りに行きたいです。

 

 

 

  • 10.せりごん
  • 投稿日:2008/03/31 06:11
  • お早う御座います。
    マサさん、NAKANOさん、3人組さん、ピンキーさん、キャロットさん、そして多くのサウスポール号のフアンの方々、長い間サウスポール号の応援有り難う御座いました。
    オープン馬でないのに出会った多くの競馬好きな人に「サウスポールの馬主です」と言いますと、直ぐ話が通じました。
    蛯名騎手もブリリアントタイム号で勝って写真撮りに行く時、4年前に1回だけ騎乗したサウスポール号のことを覚えていまして、〔またあの逃げ馬に乗せてください〕と言ってくれました。
    私にとっては胸を張って「サウスポールの馬主です」と言える宝石のような馬でした。
    長い間変わらない応援ほんとうに有り難う御座いました。
  • サウスポール号は一緒に育った幼友達ハードクリスタル号が眠る妙光院に眠っています。

〇2008/01/10  2007年競馬の総括

 

2007年競馬の総括

2007年は3歳以上は頑張りましたが、中央所属の2歳馬が不振を極め未勝利で終わりました。

地方競馬ではランパンテ号、マウンテントップ号、ゴールドアイ号が新馬戦を勝ち5頭の2歳馬のうち4頭がデビューし5勝2着1回の好成績でした。

中央競馬の2歳馬達は16頭の内7頭でデビューしてワイルドスピリット号の3着が最高でデビューした7頭のうちルイジアナボーイ号とスウェプトザワールド号の2頭は骨折で戦線離脱しました。

3歳馬は中央ではブリリアントタイム号、フォーミュラーワン号、ハードランナー号、シーソング号が勝ちあがりましたが、将来を期待していたゼラニウム号、ダンシングキャット号、が競走馬に成れず、更にシルバードルフィン号、スタッフスピリット号ハードインパルス号等期待していたフォーティナイナー産駒が地方競馬に追いやられて大きく期待を裏切られました。

地方では中央デビューが果たせなかったタキオンスピリット号が

4連勝を飾りました。

古馬では障害に転向したサウスポール号が未勝利、オープンと連勝して一人気を吐きました。

重賞レースは中央ではマンハッタンバー号が弥生賞、フォーミュラーワン号がユニコーンS,毎日杯に挑戦しました。

地方ではマンハッタンバー号が骨折をおして羽田杯、東京ダービーを、タキオンスピリット号が戸塚記念、ランパンテ号が全日本2歳優駿に挑戦しました。しかし、中央、地方とも良成績を収められませんでした。

総体的に中央は勝倉が上がらず6勝で終わりましたが、地方では中央下がりが活躍し、特に川崎の池田厩舎では30勝を上げました。

期待のマンハッタンバー号は骨片除去手術が上手くいき本年四月ごろの復帰を目標にトレーニングを始めました。

 

徒然雑記帳Tへクリックしてください。